闇の中を進む電車の様に。暗いトンネルからは抜けられない。
こんばんわ。流星です。
写真載せるって言いましたね、あれは嘘です。
というのも現在終電。23:30。バイト終わりの時間です。
今から…写真は…間に合わない…!
ということで10分ほどでかける記事の限界を目指します。今思っていること。
(追記、あまりにも内容が酷いので読むことを非推奨します)
忙しい時の話を以前しました。
僕は忙しいことは嫌いではないです。休みたい訳でもない。
それよりはストレスを溜まることの方が嫌いです。
忙しいと自然とストレスを溜めやすくて。
昔からストレスがストレートに体調を左右させるので僕は僕自身が嫌い。
小学生の頃は「月曜病」っていう、学校の先生が怖すぎて土日でリセットされた感情で学校に行きたくなくて何度か休みました。
人はこれをズル休みって言うんですかね。実際に「嫌だ」って思い続けてると本当に体調が悪くなります。
よく「病は気から」って言うけどその通りだなって思う。全部の病気が気持ちから来るものではないけど、気持ちのせいでなっちゃう病気もあるって身をもって思う。
だから不登校の人とか見ると、「無理しないでいいよ」って思う。思うだけなんだけど。
というのもかける言葉が見つからない。僕の中でよく起きること。なんて言えばいいのか分からなくなって、何も言えない。言わない。
結局、不登校じゃない僕自身の言葉がその人にどう届くかなんて分からない。同情されたって思うかもしれないし、上から目線で偉そうにって思われるかもしれない。他人事だろって思われるかもしれない。
世の中で結局、人の発する言葉なんていつも思い通りに伝わることに方が少ない様に思える。捻くれているだけかもしれないけど。もう少し僕がまともな人間だったなら、相手も素直に僕の言葉を、感情を受け取ってくれるのかもしれない。常々思う。
きわめつけは「どうせ、僕の言葉なんか」
そう思う自分がいる。いつまでたっても、いやむしろ歳を重ねるほど、周りとの比較をされ、「お前はアイツより」と言われて。「俺はアイツより」と思って。
自分自身の劣等感をただただ破れない風船を膨らませる様に増やしている。きっと。
その劣等感を隠すために、必死に前を向いて、明るい言葉で自分を偽っていく。
本当に笑える話だと思う。
自分自身って一体何を根拠に出来ているのか。
自分って何だ。自分って誰だ。
自問自答を繰り返す。
でもきっとこうして「自分なんか」って思いながらも、「自分の言葉なんて」って思いながらも、表現することをやめない。
心のどこかで、きっと願ってる。
「いつか自分自身を好きになれるように」って。
いろんな自問自答が心の中で繰り返されて、その一部がラジオドラマに反映されてるなって思います。
やりきれない思い、悔しさ、苦しさ、辛さ、もどかしさ、苛立ち、怒り。
僕の前向きな作品たちはマイナスの感情から始まって、プラスに昇華されていく。
ラジオドラマを作ることはきっと辞められない。心に闇がある限り、ずっと。
まとまりのない文を、ここまで読んでくださったあなたに感謝を込めて。
ありがとうございます。
らしくないくらい文は本当にたまにだけ。1年に2回くらい。脚本を書く時期にだけ溢れて止まらなくなる。
でもそれを心地いいと思う自分さえいることに、表現者としての誇りを持ちたい。いつかね。
終わり。