青梅の名所「吉野梅郷」に大学生が行ってきた話。

みなさんは青梅の名所「吉野梅郷」をご存知でしょうか。

(今年の梅まつりの駅掲示です)

「青梅」という地名にもあるように「梅」は青梅の象徴。

東京であるにも関わらず、自然豊かな環境を保ってきた青梅市には「吉野梅郷」という名所が…”ありました”

そう、これは昔の話。

かつて2万5千本もの梅が咲き誇った「梅の公園」をはじめとした吉野梅郷の梅は、2014年に”1本残らず全て”「伐採」されました。

観光地であったはずの吉野梅郷は、梅が1本も存在しない梅の郷となったんです。

 

今日の話は、そこに中学からの親友と行ってきた話。

その親友とは常々、会うたびに

「大好きな地元、青梅の良さをいろんな人に伝えたいよね。」

って話してて。まずは僕らが「青梅を知らないと何も始まらないよね」ってことでかつて市内で最大級の観光を占めていた吉野梅郷を訪れることにしました。

 

もちろん「伐採された」という事実は知っています。大きな話題になりましたしニュースでも取り上げられるレベルです。

簡単にお話しすると、青梅市の梅から「ウメ輪紋ウイルス(PPV)」というウイルス感染が確認されて…梅の公園をはじめとした市内全域の梅が伐採されました。

情報は
https://www.city.ome.tokyo.jp/umenosato/ppv_info.html 

青梅市のHPをご覧ください。僕の知識はだいたいホームページから得た情報ですので。

リンク先には伐採前の写真もあるので分かりやすいと思います。

 

 

 

ここから先に綴るのは実際に吉野梅郷を訪れての想い。

一切の偽りはありません。

地元を大好きな大学生が、吉野梅郷に行って思ったこと、感じたことを率直に伝えます。

僕は吉野梅郷 全盛期の姿を知りません…いや覚えていません。

行ったことがないと思っていたのですが小さい頃に行っていたようです。

 

今回「梅まつり」ということで2月25日~3月25日まで開催していて、いろいろなイベントが催されています。僕と親友は静かに写真を撮りたかったので平日に行きました。

最寄り駅はJR青梅線の日向和田駅。新宿からだと1時間半もあれば着きます。

まず目についたのは「蘇れ!吉野梅郷 ふたたび 日本一の梅の里へ」の文字。

この時点で既に、心が苦しくなる想いがあります。日本一は過去のコトであると再認識しました。

道路には「梅まつり」の提灯が。

梅の公園までの道には街路樹として梅が植えられています。

華やかで、派手な綺麗さはないけど…確かに咲いています。

梅の樹には1本1本に登録植物のタグがつけられています。

全て伐採されて、少しづつ歩んでいる証。けれど、どうしても痛々しさを感じてしまいます。

パンフレットによると「樹齢15年から20年のウメ生木が植樹されました」とのこと。

梅の公園は駅から5分ほど歩いたところにあります。

言葉よりも先に写真を。

1番高いところから撮った全体の写真です。

これが今の「吉野梅郷 梅の公園」

しかも開花時期、シーズンでこれです。「何が」っていうんでしょうか。

おそらくここは1番高い位置で絶景が広がる観光スポットだったのでしょう。

今、この景色を見て発する言葉は…どれも過去を惜しむ言葉ばかり。

次の写真。少し降りたところで撮ったものです。

支えと同じくらいの背丈をした梅が少し咲いているのがわかると思います。

パンフレットによると梅の公園には2018年3月現在、約940本の梅が再植樹されたそうです。

かつての梅が咲き誇る姿が遠い昔に感じてしまうくらいには、面影が全くありません。

切り取る景色を変えれば、たくさんの切り株が残ってる場所もあります。

痛々しい切り株に、想いを馳せずにはいられません。

ここに強く咲き誇っていたであろう梅は、何を思って切られていったんだろう。切った人はどんな想いだったんだろう。

全てが感染していたわけではないはずで、でも伐採しなくてはいけない状況で。

もちろんですが、ちゃんと咲き誇ってる梅もありました。

 

部分的に、写真だけ見れば、素敵な写真が撮れることに変わりはありません。昔も今も。

今回の記事だって、梅のよく撮れた写真だけ用いて前向きな言葉を綴ればそれなりの観光スポットに見えることができるでしょう。

でも僕が、悲惨な写真を先に用いて、辛くて重い言葉を選んで綴っているのは、「観光」ではなくて。「大好きな青梅だからこそ、事実を受け入れる」ことを大切にしたいからなんですよね。

 

平日ということもあって、人は少なく、年齢層も高い方が多かったです。

口を揃えて聞こえてくるのは「昔はよかった」「あの頃は綺麗だった」

比較するまでもありません。比較することなんて、できません。あまりにも違いすぎて。

 

今の吉野梅郷にはかつてのような「輝きに満ちた梅の絶景」はありません。

それこそ、僕が景色を見て発した言葉は「焼け野原」です。

切り株と、ポツポツと植えられた植樹の梅。

「観光地」では…ない。

 

でも、僕は思うんです。

「この景色が、数年後、いやもっと…おじいちゃんになった時に梅が咲き誇る景色になっていたら。」

僕はその時に、初めて本当の意味で青梅を好きになれる気がするんです。

その時に初めて、本当の意味で「吉野梅郷の観光」が完成すると思うんです。

いいところ・素敵なことだけ見ることが好きっていうことじゃない。

時間の経過や物語、そこに携わった人の話、想い…いろんなものが詰まっていって。

きっと昔よりたくさんの愛情と夢と想いが詰まった「吉野梅郷」が戻ってくるんだって思ってるんです。

これは子供や大人が吉野梅郷に梅が咲くように願って作ったものだそうで。

本当に素敵だと思う。行政だけがやってればいい問題じゃない。市民の意識も絶対必要になるんだって学んでますからね。

 

随分と短くまとめたつもりですが…。

 

ここまで読んでくださった皆さん

『「吉野梅郷」はいいところですよ!素敵です!』

なんて、僕はいまの状態じゃ言えませんし言いません。

でもきっと、「いまの吉野梅郷でしか見えないもの」って絶対あるんです。

いまの吉野梅郷でしか見えないもの、感じられないものをできることなら感じて欲しいです。

そして数年後にまた訪れた時に、より素晴らしい景色を一緒に見れたらなって思います。

 

これから毎年、吉野梅郷を見守り続けていこうと思います。

僕ができることも見つけてやっていきたい。

 

そんなわけで【青梅の名所「吉野梅郷」に大学生が行ってきた話。】

これにてFin.

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